飲み会で消費されていく私の心

飲み会ってありますよね、どこの会社でも。

それが好きな人も苦手な人もいると思う。

私は苦手です。正確に言うと時間とお金を無駄にして、ストレスを溜めるイベントと化してしまう。私にとって。

わからない人にはとことんわからないでしょう。

 

人間って「人と話すことでストレスを発散させるタイプ」と「人と話すとストレスが溜まるタイプ」がいる。

前者のタイプの人間は、自分の周囲の人間が自分と同じタイプだと信じて飲み会に誘ってくれたりします。あとは普通に自分が誰かと話してストレス解放させたいとか。

見た目では判断つかないし、一見するとコミュ力MAXですう!みたいな人が飲み会苦手だったりすることも。

だから実際、飲み会の場では「はやく帰りたい」と思う人と「帰りたくない」と思う人が入り混じる。

その心は見えないし、行きたくないですとか言うと角が立つ。あなたと行きたくないっていう意味に捉えられかねないから。あなたじゃなくても行きたくないんですわ。

本当に一部の好きな人たちとしか行きたくないんですわ。

 

なんでこんなに行きたくないんだろう。

時間の大切さを人よりも理解し、有意義に使いたいと願うがために、飲み会は重要ではないと位置づけているからなのか。

大勢で話すのが苦手だからか。

人によって飲み会に行きたくない理由はきっと違うだろう。

私はきっとコミュニケーションをとる手段が飲み会にしかない人がたまらなく鬱陶しいのだと思う。

普段のコミュニケーションをサボるから、飲み会の場でしかコミュニケーション取れないって感じるんじゃないんですか。

普段からコミュニケーションを取ろうと努力していますか。

酒が入り、騒音もする場で最適なコミュニケーションをとれると思いですか。

最低かもしれない。でもそう思ってしまう。ごめんなさい。。

 

もちろん、飲み会がもたらす恩恵もわかっているつもり。

普段接しない人々と飲みに行って、仲良くなり人脈を広げ、仕事を優位に進める。

社内政治が重要になってくる立場であればあるほど、飲み会は仕事の一環になってくる。

 

しかし飲み会で疲れ、心を壊してしまっては私の人生が仕事のせいで終わる。

プライベートを侵食され、しゃべりたくないことまでしゃべらされ、

一緒にいたい人との時間を犠牲にしてまで、あなた方と同じ時間を過ごしたくない。

人生は長いようで短い。

時間はお金では買えない。

だから効率を求めて日々動き回っているのに、飲み会という場は「効率的に」の対象にならない。

奴隷でもない、一人の人間として人権があるのだから、私は自分が持つ残り時間を何に使うか選びたい。

我慢し続ければ、心は壊れてしまう。

 

飲み会ごときでと人は言う。

だけど辛いと感じることは人によって違う。その辛さの大小も違う。

耐えられることと耐えられないことは人によってさまざまである。

それが私にとっては飲み会であるというだけ。

ただそれだけ。

しかし飲み会が苦手な人間は会社で生き抜くのは難しい。出世は基本無理だろう。

飲み会に出て、上司たちとワイワイできる人に仕事回したいって思うし。

飲み会が好きだったらどれほどよかっただろう。

どんなに生きやすかっただろう。

飲み会が好きな人たちが優位に作った社会はあまりにも生きづらい。

私が辛いと思うことを辛いと思わないのは純粋に羨ましい。

飲み会から帰ってくると、一人の時間を取り戻そうと夜遅くまで起きてしまう。

ふいに涙がこぼれる。

嫌だという心の叫びなのかもしれない。

自分が嫌いになる。数日間は飲み会がフラッシュバックし気分が落ち込む。

ああ、今日もまた歯を食いしばるのか。