私の家は特殊だと思う。
母は、私が中学生のときおかしくなった。
毎日のように無視、罵倒され、機嫌がいい日の方が少なかった。1か月ほど無視が続いたこともある。
母に言い返したら終わる世界で、口答えしようもんなら母は癇癪を起し、とたんに無視モードに入る。
癇癪で何をされたのかはもう思い出せない。ごめんなさいと謝っても許してもらえなかったことだけ頭の中に残っている。私の叫び声なのか、妹の叫び声なのか判別がつかない記憶だけが私の中にある。
父は、家族の誰とも会話しない。
いわゆる家庭内別居。両親の間で会話はない。母が家庭を牛耳っていたから、必然的に私も父と会話をすることはなくなった。
最後に会話したのは小学生のころだと記憶している。
何もしてくれなかった。守ってくれなかった。闘ってくれなかった。
信頼できる大人は家にいなかった。家が落ちつける場所じゃなかった。
あれは高3の冬。大学受験が間もなく本番を迎えようとしていたときのことだった。
定期テストの3日目に熱を出して学校に行けなくなった。母に伝えたら自分で学校に連絡しろというばかり。話せる状態ではなかったから、そのまま無断欠席となった(と記憶しているがあまり記憶がない)。
その日の夜に私を心配した担任から電話がかかってきた。優しい声だった。
クラスメイトが、私がどこか道で倒れているんじゃないかと心配して、テストの開始を遅らせるように抗議していたことも知った。
人の温かさに、涙が止まらなかった。電話で泣き声が伝わらないように、声を押し殺した。
私は家では愛されている実感が持てなかった。だけど、家の外で、学校で、私はこんなにも多くの人に愛されていた。心配してくれる誰かがいるだけで、それだけで生きていけると思った。
小学生までは楽しかった。普通の家庭だった。
何が原因で歯車が狂っていたのかはわからない。
ただ、中学生以降の思い出は辛いことばかり。傷ついてばかりだった。
人は私を傷つけるのだ、と学んでしまったから人と一緒にいるのが苦しくなった。
誰かと過ごす時間がたまらなく退屈で、面倒で、辛い。
休みの日は家から極力出たくない。友達の誘いも鬱陶しい。ごはんくらい一人で食べさせてほしい。
もう、普通の人間ではなくなってしまった。
あれだけ友達と時を過ごし、一人が寂しくてだれかと一緒に過ごすのが好きだったのに、もうあの頃の私には戻れない。
寂しさを感じず、一人でいたい。
だけどいつもラインを気にしている自分もいる。誰かからの連絡を待っている自分がいる。
寂しさが心の奥底に眠っている証拠なのだろうか。
世界でたった一人でいいから、だれを敵に回そうとも味方になってくれて傍にいてくれて、何事も笑い合えるような人を求めているのかもしれない。
でも、そこまでの仲になるまでの道のりが私にとっては苦痛になる。
人を信じることができず、些細な事で傷つき、人を見限るのが早いから。
子どものころの抑圧が、今も私を支配する。