一度現れたら二度と消えることはない「死ぬ」という選択肢。
「それ」はあまりに恐ろしく、「それ」が現れる前のわたしに戻ることはできない。
なにかが根本的に変わってしまう。
なんとか立ち上がって、「それ」が頭に浮かばなくていい日々を送れたとしても
「それ」は突然顔を出す。そして昔の辛かった日々を思い出しては、自分で自分を傷つけることを止められない。
楽しかった日々よりも、わたしを愛してくれた人たちよりも、
辛かった日々や、わたしを蔑み攻撃してきた人たちの顔を思い出してしまう。
心が弱っているときは何度もフラッシュバックさせてしまう。もう癖なのか、なんなのか。
わたしは体に傷をつけたことはない。手首は表面をつややかにして、健常者を装う。
だが、辛い記憶を呼び覚まし、心を攻撃し続けるこれは、ある意味自傷行為なのではないかと最近思う。
目には見えないからこそ、どれだけ傷つけようともその深刻さに自分が気づくことはない。
何もできず、天井をみつめ、涙が一粒一粒こぼれたときにおかしいことに気づく。
ふいに訪れるそのときは、過去の積み重なった傷が癒えていないことを証明する。
「それ」と一生向き合わなきゃいけない。「それ」を決断しないように、わたしはわたし自身を生かさなきゃいけない。
すこしでも辛いと感じたら、選択肢を変える勇気と行動を起こさなきゃいけない。
その場に居続けたら、きっと選んでしまう。
壊れた頭では、もう判断がつかない。
だからすこしでも正常なときに、生きるための「選択」をする。
わたしを生かせるのは、だれでもない。わたしだけ。
親でも親友でも、恋人でも、伴侶でもない。
誰かが救えるというのは傲慢で、本人が決断をしてしまえばもうわたしたちにできることはない。
自分だけが自分を救える。
ちょっとした違和感を見逃さないこと。
嫌だと感じることをメモすること。
好きを探すこと。
自分の心を守るためなら、武器を取り闘うこと。
わがままという言葉を無視すること。
付き合う相手は選ぶこと。
自分には価値があると認めてあげること。
生きるには、自分が死なない選択をしていくしかない。
黄色信号が灯るよりも前に、選ぶ。
わたしを守れるのは私だけなのだから。