がっかりされることに慣れてしまったその先に

仕事でミスをしたり、期待通りの働きができなかったり、自分が満足できるほどの成果が出せなかったり。

相手に自分の価値が正しく伝えられなかったとき、落ち込んでしまう。

もっと自分はできるのに。もっとすごいのに。

思いだけが募って、今日も落ち込む。

そのままではいけないと、同じ失敗をしないように前を向いてまた走り出す。

でも。できないことは人間だから必ずある。どんなに頑張ってもできないこと。

人の前で自分の意見を言ったり発表したりすることが苦手だった。自分に注目が集まって、静まり返った空間で、一言を発するのがどうしようもなく怖い。

思っていることの半分もうまく伝えられず、内にある想いと外に出せる想いは一致することはない。できない。

誰かが生き生きと意見を伝えている。笑いながら発表して拍手喝采。

羨ましかった。下を向いて小さな声で呟くように声を発する私の姿は、どのようにみんなの目に映っているのだろう。

だから、練習した。発表があると分かったときは、練習を繰り返す。言うべき文言を丸暗記するほどにまで。

十分な時間があれば、自分の意見も言えるようになったし、発表もスムーズにできるようになった。

しかしながら、瞬発的に求められると、やっぱり普段の私が顔を出す。
うまくしゃべれない。伝えられない。

強い想いがあるのに、伝えたいことがあるのに、だめだ。涙を流すほどの悲しさでも、苦しさでもない。できない自分に慣れてしまった。がっかりされる自分に慣れてしまった。

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そんなことを考えていた月がきれいな夜のこと。ちょうどきれいに見える位置に、偶々いるだけじゃんと謎の嫉妬を月にしながら、物思いに更けた。

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がっかりされたくない、だから頑張る。期待以上の成果を出したい、だから頑張る。

相手の期待に応えることに価値を置いている。

自分の信念はどこにいってしまったの。なんのために頑張っているの。

私の存在価値ってなに。

誰もが評価し、評価される世界で。相手が変われば評価も変わるような世界で。

誰かの期待に応えることに価値を置いてしまうと、がっかりされたときに自分の存在すらも否定されたような気持ちになってしまう。

頑張る理由は別の何かにしたほうがいいかもしれない。誰かのためじゃなくて、私のために頑張ったらいいんじゃないの?

近くでみたらただのぼこぼこして砂が舞っているだけの月は、私たち地球人からの評価を気にしていない。また好き勝手に評価してやがると思っているかもしれない。

評価という、時の運と環境に左右されるものに価値を置かない。

私は私だけのために生きていいんだ。