寂しさより、痛みを。

ひとりで居て寂しくないの?
たまに持たれるこの疑問。

休日、友達と何処かに行くのがスタンダードな人々にとっては、ずっと家に引きこもる超おうち大好き人間のことが不思議でたまらないらしい。

大学、会社などのコミュニティで飲み会にどんどん行く人々にとっては、飲み会に行きたくないと願う人間のことが目に入らないときがあるらしい。

一人でいるのが寂しくて。
誰かと一緒にいたくて。
温もりを感じて安心したくて。

わかる。わかるよ。私も人間だし。
その感じるようにDNAに刻まれてるから。

ただ、その感情たちとともに、ある別の感情も浮かび上がってくるのです。

痛み。

人といると、痛い。

一緒にいたいと思わない人と、同じ時をともにするのが嫌なのだろう。

些細な言葉に傷ついて、
遠慮して自分の思ったことが言えなくて、
ただ人の話を聞くだけのうなずき装置に成り下がり、
私、ここにいなくても良くない?と勝手に縁を切ろうとする。

悪い癖。
だけどこの癖が自分を守ってきた。
こうしないと、生きられなかった。


それが体に染み付いて、離れなくて、やめられない。

一緒にいたいと思う人はほんの少し。
その人達とだけ、居られればそれでいい。
そう思いつつ、ずっと一緒にいるとまた遠慮とうなずきマシーンになってしまう。
優しさが、自分を刺してくる。

だから遠慮もしなくて良い。
うなずかなくていい。
言いたくないことを言わなくていい。
相手の心を読まなくて良い。

そんな時間を過ごしたい。
だからお家とフォーエバーお友達になる。


昔よりも、寂しさを感じなくて良い世界を迎えている。
エンタメには困らない。SNSで同じ感想や意見を共有できるし、自分と同じように苦しんでいる人を見て、ひとりじゃないと実感できる。

顔も知らない、関係をすぐ切れる人々になら、何か失敗しても逃げられる。いつもより何倍も遠慮しなくて良い。

だから、自分の中にある寂しさを緩和することよりも、痛みを感じたくないという気持ちを優先した。

それでいい。
それがいい。


傷つくって分かってて、戦場にわざわざ行かなくていい。
避けられるなら避けていこう。

寂しさより、痛みを。